読者の声

『朝日新聞』の[ブックス]欄       (1987年 5月 3日) 

 一九六九年、大学紛争が高校にまで波及し、教育の原点をめぐる論争が盛んに行なわれた。高校教諭の著者はその渦中に身を置きながら、生徒の心情と、教師との対応を冷静に見つめていた。ここに収められた七つの短編小説のうち表題の「学校の草」など四編は、当時の状況を素材にした作品。著者は現在、上野高教諭。

『都高教新聞』[本の紹介]欄       (1987年 7月15日)

 七つの短編からなる作品集だが、「田圃道」を除く六つの作品は、すべて著者の長い教職生活を抜きにしては考えられない。つまり、教育を正面から見据えた、息づまるような迫力ある作品である。
 昭和44年は、高校紛争が猖獗(しょうけつ)をきわめた年であるが、あの頃、都立高校に勤務していた者なら、だれでも苦渋にみちた対応を迫られた体験を持っている。著者も又、当時上野高校で紛争を経験している。「学校の草」「サイクリング」「真昼の落下」「自分だけの部屋」の四編は、「教育の原点」を問いかけられた当時の状況が素材になっている。
 これら四編を含めて六編の共通のモチーフは、暴力事件、登校拒否、活動家の授業離反、紛争の発生、封鎖……とたどるプロセスを通して、一教師の心に生じる戸惑いとためらいである。作者は、ここで、いわゆる模範的な、のぞましい生徒を作物としてとらえ、それと教育の原点を容赦なく突きつけてくる存在を草として対置させている。もちろん作者は快刀乱麻を断つ鮮やかな処方箋を用意しているわけではない。
 規則、生徒手帳、教師の貧乏症等の管理的な発想(教員は自分たちが文部省や都教委の管理的発想を嫌うくせに、生徒は徹底的に管理しようとする。そういう自覚症状のないのが殊のほか多い)に絶えず不審をもちつづけ、かと言って、望ましい教育の原点もつかみ得ず、両者のはざまに揺れつづける主人公の苦悩が、ひしひしと読む者の心に伝わってくる。
 18年も前の高校紛争は、私などもはるか彼方に過ぎ去った思いでいるが、秋葉さんの作品を読むと、決して風化させてはいけない重いテーマが、まだ未解決のまま、身近にころがっていることを痛感する。(成清良孝・新宿・全)

都立高校教師 小 口 正 明

 『学校の草』を紹介され、読みました。ことばが練られていて、その中に重い個の存在を“痛み”として表現している・・・そのように思いました。「いちょうの樹」「沈黙」もいいのですが、「学校の草」「サイクリング」「真昼の落下」「自分だけの部屋」の4作からは、かなりのインパクトを与えられると共に、ある種の共感も伝わってきます。
 実は、私も教師をやっていますが、学園紛争の末期、高校生でした。'71年卒業ですから、秋葉さんが '70〜72にかけて織井茂人のペンネームで前記の作品を書かれた時期にあたるわけです。
 あの時期、私の高校も学園紛争という台風の影響をうけ、三ヵ月程、毎日討論ばかりやっておりました。(バリケードはありませんでしたが)そして本屋へいって指導要領を見る所くらいまではやり、定期試験の一時廃止、制服の自由化なども行いましたが、結局、私の場合は、どうしても行動へ走ることはできませんでした。(以下、当時の自分の述懐=中略)
 ところで、「サイクリング」のラスト、立場と人としての自分とのギャップがよく感じられます。「校長の言葉にぼくは息がつまりそうになった。ぼくの頭には確信をもって言い切れるものは何ひとつ浮んで来なかった・・・」「真昼の落下」は、もっともおもしろい作品だと思われます。棒になるということが、寓意も、象徴も含んで、悲しさを対象物として支えていると思われます。棒になっていくプロセスもすんなり(読者をためらわせずに)うまくいっていると思います。棒という対象物になって、逆に、生徒たちを見る・・・視線におもしろさが出ていると思われます。ドキッとする作品でもありました。「自分だけの部屋」では、「これから、先生方全員の、自己批判をお願いします」という熱病の中で、自分のではない、集団を背景とした形をしゃべっているにすぎない宮島の声と、「あーぁ、また明日も、奴らに、つるし上げられるのか」という堀越のさめた、本当の自分ではない立場がつき上げられることへの、あきらめとこわさと面倒臭さの入り混じったことばが、直截にかつ状況をよく表わしていると思われます。とにかく学校という箱が転がって上下を逆にしてしまったのですから。
 読ませていただいた『学校の草』は、夏休み前の大きな収穫の一つでした。
 生徒であった私でさえ、風化しかけていた体験を掘り起こされた感じでした。